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29
Mar
2011
スリーマイル原発前 2011年3月28日午前4時
1979年3月28日午前3時53分。スリーマイル島原発の事故が始まった
時間です。以来、毎年この時間にあわせて、元住民らで作る市民団体が正門前で集会を開いています。今回集まったのは30人ほど。当時、高校生だった女性や、事故後引っ越した元住民らが参加しました。中には、飛行機で2時間かかるアトランタから来た女性もいました。従来どおりの「NO NUKES(核は要らない)」と書かれた横断幕を除けは、今回の集会は日本の大震災への祈りとメッセージに満ちていました。「日本のために祈る」というプラカードとろうそくを持った参加者が黙祷。気温0度の夜明け前に、取材する側もされる側も震えながら祈りの時間が過ぎていきました。
「日本の被災者には心から同情する」。アトランタから駆けつけた元住民の女性はこう続けます。
「事故を食い止めようとしている電力会社のスタッフらを心から応援しています」「でも、政府には原発をやめて再生可能なエネルギーを使ってほしい」と訴えていました。
別の女性は、32年前の事故について「息を吸ったら鉄の臭いがして、肌がヒリヒリした」「今も、体のあちこちに病気を抱えている。事故が原因だと思っている」と話しています。スリーマイル事故を巡っては住民らが集団訴訟を起こしましたが、健康被害と放射性物質との因果関係は、一切認められていません。
スリーマイル原発は川の中洲にあります。その中州が1周3マイルだというのが、名前の由来だそうです。その周辺は拍子抜けするくらい平和です。原発から8キロにミドルタウンという街があります。人口9000人の小さな街です。街からは原発の廃熱塔が見えます。子供の数も多いようです。自宅前で子供をあやしていた男性に話を聞きました。「日本の地震のニュースはすごく気にしてみている。心の底では原発に怖さを感じるけど、家を買っちゃったし」とのこと。漠然とした不安感はあるようですが、当面は現状維持という姿勢でした。
スリーマイル。無機質な響きの名前ですが、チェルノブイリとともに原発事故の代名詞になってしまいました。高校生のころテレビで「チャイナシンドローム」という映画を見ました。スリリングな脚本で原発事故の恐怖が伝わってきました。記者になり、東海村の動燃アスファルト固化施設爆発事故とJCOの
臨界事故の取材をしました。いずれも、スリーマイルの事故の規模を大きく下回る事故でした。
アメリカのエネルギー環境評価研究所は、福島第一原発から放出された放射性物質の量は、スリーマイルの14~19万倍と試算しています。これが本当かどうかは、東電や日本政府の正式発表を待たなければなりません。しかし、「フクシマ」がスリーマイル事故を超える規模であることは間違いなさそうです。