【既成メディア陰謀論――トランプ陣営最後の武器か?】

10月14日付の“The New York Times”の動画サイトにはシンシナチでのトランプ候補の集会を伝える記者の映像が公開されているが、そこでは一種異様な光景が繰り広げられている(以下のURLを参照http://www.nytimes.com/2016/10/15/us/politics/trump-media-attacks.html)。
集会の会場に入った記者は、15000人の支持者たちから一斉にブーイングを浴びせかけられているのだ。支持者は口々に記者に向かって「クズ!」「下司野郎!」と罵り、「真実を語れ!」と叫んでいる。
 トランプ候補は、『ニューヨーク・タイムズ』、『ワシントン・ポスト』や『ウォールストリート・ジャーナル』などの有力新聞やCNN、NBCなどのテレビ局を「既成メディア」と一括りにしたうえで、「クリントン陣営の最強の武器は、買収されたメディアだ。記者たちはクリントンを勝たせるための陰謀を企てている」とメディアへの憎悪を煽りたてている。「メディアは嘘に嘘と嘘を重ねて有権者の心に毒を塗ろうとしている」というのだ。

 元々トランプ陣営はCNNを「Clinton News Network」と揶揄していたが、女性への侮辱発言テープが公けになり、新聞各紙やテレビ各局が次々とトランプ候補の過去のセクハラ行為を暴き立てたこの7日間で、トランプ候補は〈ウォール街の一握りの金持ちがクリントン陣営に巨額の金をつぎ込んでいる。既成メディアはヒラリー陣営に買収されている。ヒラリーのメール問題はまったく取り上げず、自分にまつわる女性の醜聞を次々にでっち上げているのは、買収されたメディアの作戦だ〉――という陰謀論を前面に押し出している。さらに14日には、トランプ候補は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の個人大株主であるメキシコ人富豪カルロス・スリム氏が「クリントン陣営と共謀してニュースにバイアスをかけている」と名指しで非難した。しかし、その証拠については一言も語っていない。またトランプ候補の弁護士は、『ニューヨーク・タイムズ』に書簡を送り、被害女性の証言記事を撤回しない場合は名誉棄損で訴える準備がある、と脅しをかけた。

これに対して、『ニューヨーク・タイムズ』の主任弁護士も返書を送り、「こうした女性の声に沈黙するのは、読者だけではなく民主主義そのものを害することになる」と、記事撤回はあり得ない旨を回答し、異例の展開となっている。もちろん双方の書簡は全文、その過程の説明とともに『ニューヨーク・タイムズ』の紙面に掲載されている。
 トランプ候補は、「グローバリズムのエリートとそのカネに操られる既成メディア」という図式を作り出し、自らを「不正な既成メディアと戦うポピュリスト・ヒーロー」というイメージで、失地回復を図っているのだ。それは、ヒラリー・クリントン側の圧倒的なテレビCMに対して、過激な発言そのものがニュースの題材となって広く取り上げられ、SNSで効果的にtweetし、拡散させることで対抗してきたトランプ候補の捨身の作戦とも言える。だが、その「既成メディア陰謀論」がトランプ支持者だけではなく、大手メディアへ不信感をもつ広範な人々にとっても、さもありなんと思わせる「耳ざわりの良い」説明となってしまっていることもまた、危うい事実だ。