爆弾避難の中、CNNはどのように放送を続けたか?

 

 10月24日は朝からヒラリー・クリントン氏の自宅前など複数の場所で爆発物とみられる不審物が見つかり、大騒ぎとなっていた。

ニューヨークの繁華街コロンバス・サークルにあるタイムワーナーセンターにあるCNNでも爆発物らしきものが見つかった。

朝10時過ぎ、CNNの画面に火災警報の音が鳴り響いた。10時10分、バージニア州の専門家との中継に入ろうかという時、放送中の二人のMCは「火災警報器が鳴っています。何が起きているのか確認します。このあとすぐに」といってCMに入った。MCの背後にはあわただしく避難するCNNのスタッフたちの様子が映りこんでいた。

しかし、二人がスタジオに戻ることはなかった。CM明けは、ニューヨークではなく、本来なら中継のためにスタンバイしていたCNNワシントン支局の女性記者がワンショットで、「ニューヨークのタイムワーナーセンターが緊急避難しています。二人のアンカーもスタジオを離れました」とブレーキングニュースでスタートし、ワシントンからニューヨークで起きている情報をまとめて伝えた。

 

 その後、画面に戻ったニューヨークの二人のMCは、センター脇の58丁目の路上から中継を続けた。CNNBusinessによれば、当初はスタッフの携帯電話とスカイプアプリによる携帯中継だった。携帯中継になったのは、アトランタとの間の通信を立て直していたからだった。二人のMCはそれぞれ二つの携帯を手にしていた。1台は最新の情報を確認するため、そしてもう1台でアトランタのサブと連絡をとったり、ゲストの発言を聞くためだった。

この間、ワシントンでは、いつもなら1時間の番組を仕切るブリッツァーとタッパーというふたりのベテランアンカーマンがニュースをまとめた。

 この日、いつもはニューヨークにいるCNNWordWideのジェフ・ズッカー社長は、たまたまアトランタの本社に出張していた。ズッカー社長は本社のサブに駆け込むと、サブから指揮を執った。幾多のブレーキングニュースに慣れているアトランタのサブはいつも通りだったと言う。ただし、通常観光客に開放されているCNNセンターにも金属探知機が設置された。

 ニューヨークのスタッフたちはニュースルームから全員避難し、近くのホテルのロビーやレストランで仕事を始めた。チェインメールやカンファレンスコールで情報を共有し、進行を確認し合った。オピニオン班は近くのコーヒーハウス、ニュース班は軽食ラウンジ、デジタル版はハドソンホテルに陣取った。

CNNの数ブロック西にあるCBS NewsがCNNに正式に支援を申し出た。申し出を受け入れたズッカー社長はCBSの報道局長に電話で謝意を伝えた。オフィススペースを貸し出している会社からもミッドタウンのフリースペースをCNNに開放するとの申し出があった。

 ニューヨークのニュースルームが再び開いたのは午後3時過ぎで、それまでニューヨークのMCは路上からの中継を続けた。

 ニュースルームからの全員避難という緊急事態にも、CNNの番組は大きな破綻を見せなかった。それは、アトランタ本社が全体をコーディネーションし、ワシントン支局やロス支局など、大きな支局にもMCやリポーターがいて、情報の共有化と進行の確認さえできれば、どこからもライブ・ニュース番組を続けられる、というハブとリゾーム機能をともに持ち合わせていることの強みだろう。それとともに、携帯電話やSkypeをフルに活かして最新情報を現場から生を伝え続けるというプロ根性は賞賛に値するだろう。

 そして何よりも羨ましいのは、同業者CBSをはじめとして、ニューヨークという町のレストランやテナントや住民が、CNNに最大の協力を惜しまなかったことだ。