トランプ大統領 vs Twitter――メディアかプラットフォームか

 

  事の起こりは、5月26日、いま議論されている郵送での投票方法について、トランプ大統領が「郵便投票が不正なものにならないとは(絶対に!)言えない。郵便受けが盗まれ、投票用紙は偽造され、違法に印刷され、不正にサインされるだろう」とツイートし、これに対して、運営するTwitter社が”Get the facts about mail-in ballots”(郵便投票について事実を確認するように)という警告ラベルを貼り、この発言が根拠不明だと正面から処理したことだった。

 

 これに対してトランプ大統領は「言論の自由の抑圧だ」とツイートし、「大統領として許さない」と非難した。トランプ陣営の選挙キャンペーン責任者パースケイル氏も「われわれが数か月前にツイッターから広告を引き上げたのは、政治的な偏向もその理由の一つだ」とツイートした。

 Twitter社は去年6月27日にツイートの内容にコミットできるよう“Defining public interest on Twitter”(ツイッター上の公共性の定義)という規則を設けた。さらに先月にはフェイク情報や、事実が明らかでない情報に対して警告ラベルを貼る方針を強化していた。

 

 しかし8千万のフォロワーを持ち、怒り心頭に発した大統領は28日、SNS企業に認められている第三者の投稿に対する免責を狭める大統領令に署名した。

 そして5月29日、ミネアポリスで白人警官が黒人男性を死亡させた事件に対する激しい抗議行動が起きると、トランプ大統領は、「どんな困難があろうと、われわれは制御するだろう。しかし略奪が始まれば、銃撃も始まる」と軍を投入して銃で抗議行動を抑えるともとれる内容をツイートした。これに対してTwitter社は「このツイートは暴力を賞賛しておりTwitter社の規則に違反しています」と告知し、「しかしTwitter社は、このツイートを閲覧可能にしておくことは公益性があると判断しました」と書いた。それによって「いいね!」の投稿や、賞賛するようなリツイートはできなくなった。

 5月27日の夜、Twitter社のジャック・ドロシーCEOが自社サイトで次のように説明した。「これはわれわれが『真実の裁定者』になることではない。われわれの意図は、相争う表現の、点と点をつなぐことで、人びとが自分で判断を下せるよう、論争となっている情報を人びとに提示することだ。透明性はますます重要で、それはわれわれの行為の背後にある〈なぜ?という理由〉を人びとが明確にわかるためだ」。

 これに対して、Facebookのマーク・ザッカーバーグCEOはFox Newsへのコメントで「Facebookはオンラインでの人びとの全発言の真偽を決定する存在であるべきではないと固く信じている。民間企業、特にプラットフォーム企業はそうしたことを行う立場にあるべきではない」と述べた。ちなみにトランプ大統領の同じ内容の投稿は、Facebookではそのままだ。

 

 

 この応酬は、「はたしてSNSはPlatformなのか、Publisherなのか」という根本的な問いで、インターネットの法的根拠である「コミュニケーション品位法セクション230」に関わるものだ。

 

 「コミュニケーション品位法セクション230」とは、インスタグラムの写真だろうが、Facebookの投稿、コメントであろうが、第三者の投稿に対して、プラットフォームは法的責任を問われない、とするものだ。

 

 「コミュニケーション品位法」自体は90年代初頭、インターネットがようやく普及を始めた頃、当時のAOLやWWWなどのプラットフォームに出回るポルノ画像をどう規制するか、という議論の中、1995年に超党派議員たちが提出した法案で、当初は電話回線の品位にもとる利用に対し、それが第三者の投稿によるものであろうと、ウェブサイトとプラットフォームが法的責任を負う、というものだった。

 

 しかし、法案の審議過程で、投資会社役員の不正をめぐる投稿内容の名誉棄損をめぐって、プラットフォーム側が訴えられ、巨額の賠償金を支払う判決がでたことから、このままでは、広がり始めたインターネットの発展を阻害されかねないという判断から、「インタラクティブ・コンピュータ・サービス」は第三者の投稿には責任を負わない、と180度修正された。しかし「セクション230」は、どんな内容のコンテンツを「アクセス制限」とするかという判断はサービス側に任されており、プラットフォームは、投稿内容からは免責され、事実上、掲載の可否についてはフリーハンドというきわめて有利な立場を占めることになった。しかし、米国では憲法修正第一条で「言論の自由」が保証されていることから、このプラットフォームの権限は、つねに違憲論争を呼んでいる。

 サービス提供者がたんなる「場貸し」の「プラットフォーム」なのか、なんらかの意見を持ちその普及を目的とする「パブリッシャー」なのか、という深刻な問いはここから発している。

 

 FacebookのザッカーバーグCEOは、議会の公聴会で、何度も「自分たちはプラットフォームであって、なんらかのオピニオンをもち、それを普及させるパブリッシャーではない」との論陣を張って、虚偽の投稿や残酷な内容の動画投稿に対する社会的な責任に背を向けてきた。ことに問題にされたのが、2016年の大統領選挙で、Facebookに投稿された大量の虚偽情報がトランプ陣営に有利に働いたのではないか、という疑惑だった。

 こうしたプラットフォームの「野放し状態」ともいえる現状に、なんらかの枠組を設けるべきで「中立なパブリック・フォーラム」と位置づけようという動きもある。

 このほかに、ブラックボックス状態にあるアルゴリズムの中立性の問題や、政府機関がコンテンツへのアクセスを求めた場合の各社の対応など、SNSプラットフォームをめぐる問題は山積しており、今回のトランプ大統領とTwitter社の応酬が、巨大化し影響力を握る「プラットフォーム」と、「言論の自由」という鵺(ぬえ)のような大義名分との兼ね合いでどこまで進むのか、大きな関心が寄せられている。