全米注目のケーリーちゃん事件 裁判詳報⑥

「ケーリーちゃん事件」の公判30日目(6/28)はケーシー被告の3人の家族=父、母、兄が証言台に立ちました。


【事件の概要】

 事件の発覚は、20087月。フロリダ州オーランドで当時2歳のケーリー・アンソニーちゃんが行方不明になったというケーリーちゃんの祖母からの通報がきっかけだった。祖母によるとケーリーちゃんの姿が見えなくなったのは通報の1ヶ月前の6月。通報から3ヶ月。検察は、ケーリーちゃんの母親ケーシー被告(25)を殺人罪などで起訴した。2ヵ月後の200812月、ケーリーちゃんの遺体は、自宅近くの森の中から見つかった。検察側の宣誓供述書作成などに時間がかかり、裁判の開始は事件発覚から2年半が経った今年5月までずれ込んでいた。事件がこれまでに大きく報道されたことから、陪審員は別の郡から選ばれた。

 



<公判30日目 6月28日(火)>

この日はケーシー被告の3人の家族=父、母、兄が証言台に立った。

3人のうちまず最初に証言台に立ったのは父親のジョージ・アンソニー氏。
「ボランティアでケーリーちゃんの捜索を手伝っていた女性と不倫していたのか」という質問が弁護士から浴びせられた。
その女性の名前はクリスタル・ホロウェイ(別名:リバー・クルーズ)。彼女は事件のあと、父ジョージ・アンソニー氏との不倫を告白。
さらに、父ジョージがケーリーちゃんの死亡について「雪だるま式に制御不能になった事故だった」と語ったと主張している。
 
<父ジョージ・アンソニーの証言>
 ・不倫していない。
・彼女は、脳に腫瘍があり長く生きられないと言っていた。
・捜索を助けてくれた彼女のために自分ができることは、元気付けることだけ。そのために彼女の家に行ったことはある。
・ただしそれは昼間で、妻もそのことを知っている。
・彼女に「雪だるま式に制御不能になった事故」などと話したことはない。
・彼女には疑わしい過去=犯罪歴がある。(=彼女の主張は虚言(?))
 
☆ 父親の証言の信憑性を低下させ、「父親が溺死した遺体を隠すように指南した」という主張を正当化させるのが、弁護側の狙いか。
 
 
父に続いて証言台に立った母シンディと兄リー。
二人の証言の論点は、前日の私立探偵の証言(29日目のまとめを参照)について。
遺体発見の1ヶ月前(2008年11月)に私立探偵が現場の森を捜索したことを、家族が事前に知っていたかどうか。
母と兄の証言は食い違うものだった。
 
<母シンディ・アンソニーの証言>
・私立探偵に、(のちに遺体が発見された)森に行って遺体を捜すように指示したことはない。
・息子のリーにそんな話をしたこともない。なぜなら指示したこともないからだ。
・私立探偵が森を捜索(遺体発見の1ヶ月前)したことを知ったのは、2008年12月に遺体が発見されたあと。
 
<兄リー・アンソニーの証言>

・母は占い師(サイキック)からヒントをもらい、私立探偵に森を捜すように指示した。(前日、私立探偵は「捜索中に占い師と電話していた。」と証言している)
・母が指示を出したのは2008年の後半。具体的に何月だったかは思い出せない。

 
続いて証言台に立ったのは遺体の発見者、ロイ・クロンク氏。
クロンク氏は地元のオレンジ郡で(各家庭を回り、電気やガスなどの使用量を記録する)検針員をしていた。
公判初日の冒頭陳述で、弁護側はクロンク氏について「精神的に破綻している人物」と指摘、
「2008年8月に森の中で被害者の遺体を見つけ一旦どこかへ移動。ダクトテープを貼るなどして遺体を改ざん。報奨金が目当てで、遺体を森に戻してから警察に通報した。」などと訴えた。
 
 
<遺体の第一発見者 ロイ・クロンク氏の証言> 
 ・2008年8月11日(遺体発見のちょうど4ヶ月前)、仕事中に「用を足す」ために入った森で、白い「頭蓋骨のようなもの」とグレイのかばんを見つけ2た。
・このときは遺体から30フィート(約9メートル)以内には近づかなかった。 = 遺体を動かすようなことはしていない。
・発見直後ではなく、仕事が終わり家に帰ってから地元警察に通報した。
・翌12日、13日にも警察に連絡。13日になって現場近くで警官と会い、「頭蓋骨のようなもの」を見つけた場所を伝えたが、きちんと捜索されず何も発見されなかった。
・4ヶ月後の12月11日(遺体発見の当日)、同じ森で再び「頭蓋骨のようなもの」を発見。棒状のものでひっくり返したりして頭蓋骨だと確認して、通報した。
  ⇒ 以前彼は「落ちていたかばんを持ち上げると、中から頭蓋骨が出てきた。」と、食い違う証言をしている。
・ケーリーちゃん行方不明事件のことは知っていたし、報奨金のことも知っていた。
 
☆ 弁護側は、クロンク氏が報奨金を欲しがっていたことを印象付けるための質問をいくつも投げかけた。
  「車の修理代$1000が必要だったのではないか?」「長年会っていなかった息子に電話して「俺はもうすぐ有名になる」などと話した」など。
 
☆ もし彼が弁護側の主張どおり、遺体を一旦森から外に出し、正式な遺体発見となった2008年12月11日直前に遺体を再び森に戻したとすれば、
   前日(29日目)の私立探偵による「2008年11月に捜索したとき、森に遺体は無かった」という証言を裏付けることになるが、果たして・・・。

<NY支局 山田久>